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京の食文化と健康づくり~伝え つなぎたい 上京の食文化~ に参加して

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令和元年11月17日、上京区総合庁舎4階において、「京の食文化と健康づくり~伝え つなぎたい 食文化~」が開催されました。秋晴れの日、会場では、事前に骨密度測定や食育指導員によるレシピ紹介なども実施され、開始前から多くの区民・市民の方々にご参加いただきました。



▲骨密度測定後は相談に

松本保健福祉センター長の挨拶のあと、まず初めに、京料理萬重若主人の田村圭吾氏による講演「伝え つなぐ 京料理」が始まりました。田村氏は文化庁の派遣で世界各国を訪問する中で、「日本料理は、伝統行事や祭事と密接に関係があり、四季が明確にあることが大きな特徴である」と話されています。


日本料理の流れについて、精進料理は、殺生だけでなく修行も兼ねて料理をしています。本膳料理は武家料理として、多くの料理が出てくる贅沢な料理です。その後、千利休が考案した茶懐石は虫養い(むしやしない)とも言われ、空腹を満たす程度の料理から、現在の会席へと変遷してきました。これら変遷を経て、料理は武家や貴族のためのものから、庶民のものへと変化を遂げていったのです。


▲和食の変遷

「和食」は、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。「美味しく食べる」に留まらず、伝統を継承し健康に良いという点も登録に影響があったそうです。日本型食生活といわれる、いわゆる一汁三菜は、バランスがとれた食事として見直されています。


▲和食の良さ

京の食文化において、京野菜は欠かせません。何といっても「作り手の良さ」が大きく影響しており「振り売り」が大きな特徴です。北区、上京区、中京区などの地域を中心に対面販売によって、地域の方々からの「生の声」の情報を蓄積し生産に活かされています。この点が、京野菜が大切に守られてきた歴史へと繋がるのです。


▲京の食文化の特徴

その中でも、上京区では、季節感と伝統行事が大切に守られてきました。田村氏は小学校の食育の一環として、食文化、日本文化について教えてられますが、白味噌のお雑煮を食べているのは1割程度で、伝承が希薄になっていると感じてられます。例えば、お正月のしめ飾りはミカンではなく「代々受け継ぐこと」の意味から「橙」になっていることなど、それぞれの意味を考えて伝統を守ることが大切であると話されました。

次の講演は、「伝え つなぐ 酒造り」をテーマに、佐々木酒造(株)代表取締役 佐々木晃氏にバトンが繋がれました。


佐々木酒造では、時代に合った日本酒造りを目指してられます。酒造りは寒造りといわれ、新米ができる10月頃から開始されます。緑の青々とした杉玉が店先に飾られたら、新酒ができたシンボルです。


▲店先に杉玉が飾られている様子

昭和30年ごろは、上京区には10件の酒蔵がありましたが、現在では1件になってしまいました。なぜ、上京区で酒造りが盛んになったのでしょうか。理由は、名水にあります。鴨川、西山の水が合流し、名水が湧き出るため造り酒屋が多くあったのです。しかし、酒造りは昭和48年をピークに、現在は当時の7割減となっています。昨今では、海外で日本酒がブームになっていますが、外国産ワインを輸入している率の方が、はるかに多いそうです。


▲京都市中心部の地下水

酒造りは、秋、冬に仕込み、10月に始まり春には終了になります。ワイン、焼酎は年単位の工程となりますが、日本酒は半年サイクルです。20日間程度仕込んでお酒が完成しますが、大吟醸は35日間程度が必要です。


▲酒造りの工程を説明

日本酒の最大の特徴は、原料に米を使用することから、日本食にマッチすることです。佐々木酒造では、京料理にあったお酒が造られています。京料理は出汁文化。出汁に合うスッキリとしたお酒を造るように設計されています。また、和食は四季折々、それに合わせて日本酒を選択できることが、季節感を味わう楽しみへと繋がります。

酒造りにはその土地の米を使用し地域の匂いを醸し出しながら、それぞれの土地で造られています。酒造りの工程では、米の品種を変えることで味が変わり、米を削る(精米)することで味の濃淡が変わる。さらには、酵母を変えることで酸味・味が変わります。

全国には、酒蔵が1200件ほどあります。その中で、大手10社ほどがシェアの50%を占めています。その他は、土地に根付いた小さな蔵元が残っており、食文化に合った地域性の高いお酒を造っていることは素晴らしいことです。「これら地方の蔵元を残していきたい、また、京都・洛中にある酒蔵を継承していきたい」と熱く話されました。

最後の講演は、「伝え つなぐ 豆腐づくり」をテーマに、京豆腐入山店主の入山貴之氏にお話しいただきました。


多くの取材を受けられている、お豆腐屋さんです。最大の特徴は、お竈(くど)さんでの豆腐作りです。その工程は、初めに竈の口に火を入れて加熱して、大豆をすりつぶして炊き上げていきます。

昭和30年代頃から、機械化による豆腐作りが始まりました。機械化の利点は、「失敗がないこと」や「大量生産できること」で、多くの豆腐屋さんが機械化に切り替えていきました。そんな中、入山豆腐でも機械化が検討されましたが、入山氏の祖父が「やめとけ。豆腐屋が数を作って金儲けしたら失敗する」との先見の明で、今に至っています。現在では、竈で豆腐を全て作っているのは、入山豆腐が京都で唯一です。


▲お竈さんでの豆腐作り

水が良いことで有名な上京区滋野学区で商いを営んでいます。2018年には、元滋野中学校前に、名水「滋野井」の井桁が移設されたことでも有名な地域です。代々受け継がれてきが竈は、2010年の年末から年始にかけて取替えられました。工程は、レンガを積んでモルタルで仕上げです。職人さんたちは、それぞれのスペシャリストで、寺の復元者など様々な方々の尽力により完成されました。


▲竈の修復工程

焼き豆腐の作り方も、拘りがあります。機械化されたお豆腐屋さんでは、焼き色はバーナーで焼き付けています。しかし、入山豆腐では、串に刺して、消し炭と奈良の炭を足して焼いて作っています。こうして作ると、料理にした時の「香ばしさ」が異なります。すき焼きに入れたり、おでんに入れたりすると、ほんのり豆腐の香ばしい匂いが漂ってきます。


▲焼き豆腐にがんもどき

また、「がんもどき」は、ゴボウやニンジンなどたっぷり野菜が入っています。関西の「がんもどき」は野菜をいれますが、関東はほとんど野菜が入っていないらしいです。
写真からは、匂いが感じられるほど美味しそうな、焼き豆腐、がんもどき、お揚げなど。
老舗豆腐屋に甘んじることなく、時代に合わせた工夫のお話を展開されました。

講師の3名の方々のお話は楽しく、会場からは笑いあり、納得あり。それぞれの15分があっという間に過ぎました。10分の休憩後、「伝え つなぎたい 上京の食文化」と題したシンポジウムが行われました。コーディネーターは、同志社女子大学生活科学部食物栄養科学科 真部真里子先生の進行により、パネリストは講演者の3名に加え、京都上京KOTO-継(ことつぐ)の会の鳴橋明美さんが参加され、5名で対談が行われました。


初めに、鳴橋さんから、日常の家庭で食文化がどのように活かされているのかについてお話をいただきました。


京都言葉の「おまわり」は、ご飯の周りにある意味で「おかず」のことを指し、「おばんさい」は外向けの言葉だそうです。また、京都の食文化は、水が良く、乾物が多く、何より季節ごとの年中行事に合わせたものが多いことが特徴です。家庭で作られている料理として、魚の煮付け、完熟したきゅうりの炊いたん、鯖寿司、粕汁など、美味しそうな写真は、会場から「うなずき」の共鳴もあり、食べることで行事を思い出す取組みについて、お話をいただきました。


京都の家庭で、しきたりや年中行事と結びついている事例として、以下のような事例の紹介がありました。

①お正月のお雑煮は白味噌。具材の頭芋は、家長と後継ぎは切らずに食す。
②お盆頃には、仏壇の御膳用に細いサツマイモが店に並びだす。
「お雑煮の頭芋は硬かった」など季節と食べ物、料理が繋がっています。思い出が記憶に残ることを、日常的に実践されています。また、行事の料理や店頭に並ぶ季節物の食材など、こんな時は「京都、上京に居てよかった」と思える瞬間だそうです。


▲家庭料理の数々

入山豆腐では、「ケークサレ」や「ケーキ」も販売されています。観光客増加の中で、ベジタリアンやビーガンの方でも豆腐を食することができるためです。食べ歩きに考慮し、ケーキには豆乳を入れ、ニーズに沿った提案をされています。このように、伝統を受け継ぐ豆腐作りもしっかり伝承しながら、新しいものにも常にチャレンジされています。

酒造りにおいても、最先端のバイオテクノロジーで原料米や精米技術の開発が進んでいます。酵母も香りと酸味が研究されており、それぞれの分野で10年前とは全く異なり美味しくなっています。

日本料理においても変化はしていますが、基本はしっかり伝承し、微妙に少しずつ変化していく工夫をされています。

会場からは「味噌、醤油がなかった時代、どんな調味料があったのか」について質問があり、平安貴族のハレ(宴の)料理では、酢、酒、塩の調味料に「ひしお」(醤油の前進)が加わり、四種器(よぐさもの)として使われていたと、回答いただきました。


京野菜は、病気に弱く生産量が見込めなかったため、戦後まもなく生産が禁止されたそうです。食糧難の時代には、病気に強く大量に生産できる野菜が重宝されました。このような状況下で、振り売りの方々が、細々と京野菜の種を受け継ぎ、今日へと伝承されてきました。その努力の甲斐あり、現在の京野菜ブームに繋がっています。京野菜の事例にもあるように、社会情勢にあった改革も必要ではありますが、伝統を守っていかなければならない場合もあります。


終わりに、真部先生が以下のとおり締めくくられ、シンポジウムは終了しました。
小さい時から育ってきた家の香り、家での食べ物の香りは心に残ります。家の匂い、京都の匂いを覚えていると、よその土地でも、その香りをかぐことで、リラックスすることができます。脳の中で「楽しい」「幸せ」と実感すると免疫が活性化することが知られています。行事があると家族が揃い、これらが楽しい記憶に繋がります。その思い出が、香りなどを引き金にしてよみがえり、楽しい気持ちと共に心や全身を健康にしてくれます。行事や食べ物は、一人一人の記憶に残ることで、次世代へと繋がり、伝統として残ることができるのです。

―講演とシンポジウムに参加して―
幼いころに食べた味は、舌が覚えています。母が作ってくれた「ししとうとじゃこの炒め煮」、「おあげとあらめのたいたん」、「にしんと茄子」、「生節とおとうふのたいたん」、お祭りの時には「鯖寿司」など、幼い頃は苦手でした。しかし、今では懐かしく匂いも漂ってきます。振り売りのトマトは大小不揃いで、キュウリも曲がっていましたが、味が濃厚で美味しかったことを覚えています。これらは、「豊かな食生活だったのだ」とお話を伺い楽しかった思い出が蘇ってきました。全てを伝承することは困難な場合もありますが、「想いを後世につなぐ」大切さについて考える機会となりました。

レポーター

藪田里美(やぶたさとみ)

上京区出町界隈のまちづくりに参画して、そろそろ10年になります。春には「でまちになじむ日」、夏には「出町七夕夜店」、年末には「商店街食べ歩きツアー」など地域の方々や学生の皆さんと「長く細く、緩く、楽しく」をモットーに参加しています。

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