上京区の水を巡る

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縁あって築200年の京町家に住んでいます。
坪庭に古い井戸があり、せっかくなので井戸水を復活させることにしました。


町家ギャラリーbe京都の坪庭の井戸

なるほど上京区には「今出川」、「出水」、「堀川」、「小川」など通り名や地名にたくさん水や川が登場します。
山紫水明の地と昔から名高い京の町。とりわけ上京地域の水が非常に良いと言われており、上京区民としては大変誇らしいです。
私の家の井戸は、1分間に140リットルの水がわき、水深約7メートルの深さです。「こんこんと涌く」水に感動しております。この水をもっと活かせたら、この水の水源はどこなんだろう・・・「水」に興味を持った私。タイミングよく専門家の先生と出会うことができて、上京区の地下水や橋などの「水」に関することを調べてみることにしました。

上京区の水と一言で言っても、歴史のある京都。奥が深い!
あらゆる視点から掘り下げることができますが、今回は「井戸」を中心にめぐりました。
案内人は水文化研究家の鈴木康久先生(京都産業大学教授)。酷暑の8月ではございましたが、御協力いただけたことを心より感謝申し上げます。

朝8時30分に上京区役所を出発し、まずは東へ。

①水の守護・白峯神宮の潜龍水(せんりゅうすい)


白峯神宮内 潜龍社

潜龍水は白峯神宮(上京区今出川通堀川東入)の北東にある潜龍社の祠の正面にある手水。由緒書によると、「昭和31年11月23日の御火焚祭の折、大祓詞 奏上中に出現され、この土地の地主神(龍神様)であることが判明しました。潜龍の井は現在に至るまで湧き出る神水で、家系にまつわる悪縁を水に流して良縁と成し、盗難災難除、病気平癒の霊験あらたかな龍神様として篤く崇められています。」と。


笑い龍の手水舎

「笑いは、心の常備薬」を表現した優しいお顔をした「笑い龍」のお口から神水が。
冷たくて気持ちいい!
次は、龍に関係する京都の名水を巡るのも興味深いのではないかと思います。

②井桁の丸みを帯びた形に注目!飛鳥井(あすかい)

次に、同じ白峯神宮内にある飛鳥井へ。
飛鳥井は飛鳥井家の屋敷跡に建つ白峯神宮の手水舎の井戸のことをいいます。


白峯神宮内 飛鳥井

こちらの特徴は井桁のアール。むっくりとした石の感じは非常にめずらしいそうです。


丸みを帯びた特徴的な井桁

駒敏郎の著書『京洛名水めぐり』によると、「室町時代以降、この地の飛鳥井家が住居を構えていたが、明治元年に白峯神宮を創祀に際して、飛鳥井家が土地を献納した。飛鳥井家の邸内には清泉があり「飛鳥井」と呼ばれていたが、神社になり埋められ場所が分からなくなった。その場所は門外の鳥居の東の柱の辺りとも言われていた。昭和60年に井戸を掘り直し、地下約35mからの地下水を「飛鳥井」として手水舎に使っている。」とあります。 また、清少納言が『枕草子』で名水にあげた9つの井戸のうちの一つという説もあります。


飛鳥井の水

こちらもとても冷たくて気持ちの良い井戸水です。
ちょうど宮司様が御祈祷をされておられ、身も心も清められるような思いでした。

③小野小町ゆかり『草紙洗いの水・双紙洗水(そうしあらいのみず)


小町通と新武者小路を記す石

少し南へ進み、小町通へ。


鈴木先生の著書「水が語る京の暮らし」を参考文献に学びます。

謡曲「草紙洗小町(そうしあらいこまち)」のゆかりの水。
現在は残っていませんが、この地にあったのではと思いをはせます。
謡曲では、平安前期9世紀頃の歌人である小野小町と大伴黒主の歌争いがあり、小野小町に勝てるはずがないと思った黒主が、小町の歌を万葉集の古歌からの盗作であると訴えたといいます。しかし実際は黒主が前日に小町の歌を盗みきき、あらかじめ万葉集に書き足しており、それに気づいた小町がその草紙を洗うと字は消えてしまった・・・というものです。その時に用いた水とされています。

『京都民俗志』には、ほぼ長方形の水溜りであったと書かれ、この水を使うと美人になると京の街の人がもらいに来る風習があったそうです。現在は「小野小町 遺跡 双紙洗水」、「小町通」と掘られた石碑(高 62×幅 25×奥行 25㎝)が建てられています。
偉人と名水を巡るのもまたまた興味深いでしょう。

④一条戻橋・一條戻橋

平安京の造成工事の際に、街路にあわせて造られた人工の川といわれている堀川。上京区内ではほぼ等間隔に橋が架かっていますが、今はない小川(こかわ)と堀川が合流している地点に一条戻橋があります。


一条戻橋について

伝説の橋と記される「一条戻橋」。あの世とこの世をつなぐとも言われているんですね。
現在の橋は平成7年に新築されたものです。
では、旧一條戻橋の親柱はどちらにあるかというと、晴明神社(堀川通一条上ル)にあります。


晴明神社境内にある旧一條戻橋欄干親柱

趣がありますね。大正11年から平成7年まで使用されていた橋の欄干親柱です。


一條戻橋について記されています

⑤恵方を向く、晴明水

旧一條戻橋と同じく、晴明神社の境内にあります。
こちらは、陰陽師の安倍晴明(921-1005)が密法を行う時に神水を得るため、祈誓によって湧出した水とされ、晴明神社の本殿傍の北寄りの切石の井筒を持つ井戸です。


晴明神社の晴明水

鳥居を入って北側に五芒星(晴明紋)を描き、その星型の頂点の一つに取水口があり、湧き出す水は現在でも飲むことができます。立春には晴明神社の神職がその晴明井の上部を回転させ、その歳の恵方に取水口を向けるのが、慣わしとなっています。だから毎年向きが変わるのです。


取出口が恵方を向く晴明水

井戸が動くなんて驚きです!


本殿横にある旧晴明井

巫女さんにお話を伺うと、旧井戸の構造物は本殿横に移築され、現在の井戸を新しくされたそうです。水源は共に同じだそうですが、実際に井戸水にふれることができるのは現在の井戸です。

⑥石造のアーチが美しい堀川第一橋(ほりかわだいいちきょう)


堀川第一橋を望む

一条戻橋と同じく堀川にかかる堀川第一橋は、鈴木先生もオススメの石造アーチ橋。
石工の伝統技術によりつくられた全国的にも数少ない真円で近代建築史上、価値が高い貴重な橋です。
明治6年(1873年)、永久に壊れることのないよう石の橋に架け替えられ、堀川で最初の『永久橋』として『堀川第一橋』と名付けられました。度々修復しているものの改造は少なく、建設当時の姿が良く残されています。


堀川第一橋についての駒札

橋の欄干親柱には初代京都府知事長谷 信篤の名前も刻まれています。

橋の上から丸みとぬくもりのあるアーチ型に敷かれた石の美しさを感じました。

もちろん下におりて全貌できます。

下に降りると、キラキラ輝く川の水、石造りのアーチ橋の姿を下から望むことができ、空が高く感じられました。一方、上の堀川通りには背の高いマンションや自動車の姿もあり、新旧が融合する点が面白く感じました。京都は新旧が自然と融合する素敵な町です。

⑦手水舎のイノシシがユニーク!護王神社


護王神社の手水舎

こちらは井戸ではございませんが、手水舎のイノシシの姿がユニークですのでちょっと寄り道。
前足を水盤に置き、走っている様に見えます。
干支や動物めぐりの視点から巡ってもまた興味深いですね。

⑧菅原道真公産湯の井戸、菅公初湯井(かんこううぶゆのい)

次に向かったのは菅原院天満宮神社。烏丸通下立売下ルにあります。
烏丸通に面しているので良く前は通っていましたが中に入るのは実は初めて。


比較的小さな境内に大きく示されています

菅公初湯井(かんこううぶゆのい)

つるべも残されていて、なんだかとても愛情を感じる井戸です。
30年ほど前に水が枯れてしまいましたが、2010年に新たに掘削し、由緒ある清らかな水が復活しました。
千年の時を経て、今では学問の神様として厚い振興を集める道真公ゆかりのご神水。多くの方が御利益をいただこうと参拝されています。


歌碑とともにある給水所

境内には給水所があり産湯に使ったとされる井戸の水を持ち帰れるようになっています。


菅原院天満宮神社の手水舎

天満宮は牛を神使としているので、こちらにも牛が。

⑨水深60メートル、新滋野井(麩嘉の井(ふうかのい))


新滋野井(麩嘉の井)

西洞院通椹木町上ル、「新滋野井(麩嘉の井)」にやってきました。生麩で有名な麩嘉の店舗、南側にあります。昭和55(1980年)に麩づくりのために新たに掘られました。地下約60mの深さからの井戸水を汲み上げ、蛇口から汲めるようになっています。


説明版

この地が滋野貞主の邸であったことから郷土史家の駒敏郎氏が、「新滋野井(麩嘉の井)」と名付けた旨が、説明板に記してあります。
滋野井の井桁がみつかったことも報道され、地域の方も保存と歴史の継承に力を入れておられます。
趣のある麩嘉の外観や店舗内も大変魅力的でした。

⑩井戸水でつくるお豆腐、入山豆腐店


入山豆腐店外観

入山豆腐店は以前カミングでも紹介させていただきました。
カミングレポート「“まちみせ”としてのお豆腐づくり~椹木町 入山豆腐店」
http://kamigyo.sakura.ne.jp/tokushu/spot/post-42.html


お豆腐づくりの合間をぬってお話を聞かせてくれました。

手づくりで丁寧にお豆腐をつくられています。
昭和42年頃のアスファルト工事の影響で水位が下がりポンプでくみあげるようにしたそうです。
井戸は水深8メートル程だそうです。予想していた程深くはありませんでしたが、逆に私の家の井戸水と同じ程の深さでしたので可能性を感じました。

⑪佐々木酒造の銀名水(ぎんめいすい)


佐々木酒造入口

さらに東へ日暮通椹木町の佐々木酒造。豊臣秀吉が自身の家として建てた聚楽第のあった南端にあたります。
本日の最終目的地です。
「銀名水」は洛中唯一の酒蔵である佐々木酒造が仕込みに使う酒水として、三代目代表の佐々木晃社長によって命名されました。


佐々木晃社長と佐々木酒造の井戸

井戸は、酒を販売している事務所裏手の作業所内にありました。
お忙しいにも関わらず、拝見させていただきました。
水面までは15メートルくらいだそうです。
この水でおいしいお酒がつくられます。


佐々木酒造店内にて

所要時間約2時間(自転車)。 本当は麩まんじゅうを食べたり、豆乳を飲んだりしたかったのですが、私の都合で急ピッチの「水めぐり」となりました。 ですが、この日の目的は「水をめぐること」。 目的は大いに達成でき、今後の可能性を感じる序章となりました。 今後も違う視点から「水」を巡りたいです。

レポーター

岡元麻有

歴史ある京都の地で今も大切にされている水。
現代において不明なこともあるけれど伝説や伝統、生活文化を支えてきた水が今も受け継がれていることは確かです。
この清らかな水がある喜びをかみしめ、このレポートを読んでいただけた方にも水の魅力と幸せを感じてもらえたら嬉しいです。
御協力いただいた鈴木先生、まちづくりアドバイザーの松井さん、ありがとうございました。

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