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上京区の水巡り―第2段 京都御所界隈

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好評だった「上京区の水を巡る(http://www.kamigyo.net/public_html/spot/report/20170916/)」に続く、第2段をレポートします。


今回も、水文化研究家の鈴木康久先生(京都産業大学教授)にご協力いただき、行いました。
コーディネーターは前回レポート担当の私、岡元麻有。
レポーターは、大学で先生の研究室に通う菅原大輔さん(前半)と重兼加奈さん(後半)。前後半に担当を分けてレポートしていただく構成です。
8月24日(金)、烏丸通より東、御所界隈の井戸を巡りました。
上京区役所内で事前ミーティングをして、さぁ!出発です!


「前半―法然水」

私たちが最初に訪れたのは、法然水です。
法然水は相国寺の北側にあります。井戸の敷地が白壁で囲まれており、柵の中には「法然水」と彫られた石の井桁があります。


かつて法然上人がこの地に住み、水を汲み、仏前などに供養される閼伽(あか)の水として用いた井戸とされています。
現在、水はなく井桁だけが残っていますが、とてもきれいに整備されていました。
ふとした街中にあり少し意外でした。法然水は法然上人が住んでいたということを示しています。このように歴史を形にして伝えていくことも大切だと思いました。

「前半―雲水の井」

雲水の井は蘆山寺の奥、東にあり、謡曲に記載がある井戸です。
天台圓淨宗蘆山寺は、京都御苑の東に位置しており、紫式部が育ち、源氏物語を執筆した邸宅址として非常に有名です。
(蘆山寺HPより引用 http://www7a.biglobe.ne.jp/~rozanji/index.html


らせん状の階段を使って下に降りていく井戸の形状で、関西では非常に珍しいものです。 幅約90センチの9段の石段を降りると水をくむ場所があります。地表面から230センチの深さにあり、左回りに降りる間に高さ1.1メートルの如来像があります。


実際に降りてみると、子供のころに感じた隠れ基地みたいな感じがしました。地面より下にあることで少し涼しく、見上げると草木と空がきれいに見えて雰囲気がよかったです。

「前半―御土居」


京都には豊臣秀吉が外敵や鴨川の氾濫から市街を守るために築造した御土居があります。
土塁に附属した堀幅は約4~18メートル、土塁は高さ3メートルで構成されておりましたが、現在はほとんど残っておらず史跡になっています。
その中で私たちが訪れたのは御苑の東にある蘆山寺の墓地の奥です。
少し高くなっており、石碑が一つ建てられていて「史跡御土居」「昭和十二年十一月建設」と書かれていました。
普段あまり注意深く(?)見ることはありませんでしたが、実際に御土居に登り、昔の風景を想像してみると当時の作り上げる労力や考えがすごいと感じました。

「後半―染井(そめのい)」

・染井
京都御苑の東側、清和院御門に向かって右手にあるのが、染井のある梨木神社です。始めはどのようにして境内へ行けばいいのかと戸惑いました。戸惑いつつも細い道を歩いていきます。本当に人ひとり分ほどの細さです。先ほどまで住宅街を自転車で走っていたと忘れて、遠くの森に迷い込んだような気さえしました。



境内を進むと、さやさやという流水の音が聞こえます。周囲には、制服を着た高校生や地元の方と思われるご婦人が染井を囲んでいらっしゃいました。観光客も見られますが、地元の方々に愛されている井戸なのでしょうね。


そして、井戸を覆う屋根の柱には小さな立て札には、この井戸のいわれが記されています。駒札には、『当社境内は、9世紀後半に・・・・・・唯一の名水として知られる。』と明記があり、現存する唯一の名水であることはもちろん、「明子」を「あきらけいこ」と読むとは驚きです。画数が少ない漢字でも、雅なお名前だと思いました。ゆかりの人物の名前をたどってみるのも興味深そうに思います。


「後半―染殿井」

染殿井は、御苑の京都迎賓館の東に位置しています。切石を組んだ井桁をもつ井戸です。現在、井戸は埋もれてはいないものの、かれてしまっている状態です。九世紀後半、この地には、清少納言もたたえる藤原良房の染殿があったとされます。染殿井はその邸内にあった井戸の一つとされています。
御苑の東側の入り口、清和院御門から入り、染井殿へ向かう途中、京都御苑案内図があり、そこで御所三名水の位置を確認しました。もしかすると御所三名水が、長方形の御苑の辺に添い、北、東、西、と位置していて、何か意味があるかもしれない、と歴史と水の関係へ期待を膨らませました。


「後半―裕井(さちのい)」

御苑の北東にある明治天皇ゆかりの井戸です。明治天皇の生母の実家・中山邸跡にあります。
明治天皇御産湯の井戸と伝わっていますが、実際は、邸内に井戸を掘らせると、清水が湧き出したので、明治天皇の幼名である裕宮の字を取り、裕井と名付けたことが由来です。
井戸を訪れてみると、なるほど、高貴な雰囲気を感じられました。ごくたまに門が開かれ、井戸を近くで見ることができるそうです。


※注:裕井のある中山邸には立ち入りはできません。

「後半―縣井」

京都御苑内北西にある縣井。平安時代に井戸の傍には縣宮という小さな祠(ほこら)があり、地方官吏への任命を願う人々は、縣井の水で身を清め祈願したと伝わります。文化年間に置かれたと伝わる井桁には、一条家の太夫であった従四位上岡本治部大輔による「縣井」の文字が彫られています。法然水、染井の井桁にもその文字が彫られていますが、これはとても珍しいことだそうです。 その字体は風情があり、御所用水を管理する重要な井戸であったことが伺えます。
この井戸には、井屋があり、平地よりも二段ほど上がったところにあり、奉られているかのようです。



「最後にー編集後記」

暑い中、皆様お疲れ様でした!
今回レポート担当を分けさせていただき、充実したレポートになりました。染井のように地域の方から愛され、日常に根差している水から、信仰されている井戸など、上京区の水巡りはとても奥深いものでした。


また、夏休み期間中のため、小学1年生の娘も同行させていただきました。それぞれの学びがある、面白い水巡りをぜひ区民の方にも満喫してもらいたいです。

レポーター 前半担当「法然水~御土居堀」

菅原大輔(すがはらだいすけ)

大学・学部:京都産業大学 現代社会学部
出身:兵庫県三木市
好きな動物:ペットのミニチュアダックス
好きな場所:鴨川
コメント
今回、京都の井戸水巡りをして普段訪れない、京都に住んでいるけど詳しくは見ていないというところをおとずれました。やはり実際にその地に訪れて触れることによって空気感や発見、想像などさまざまなことを体感することができました。普段何となく通っている道が昔は川が流れていて、現在はその川に沿ってくねくねまがった道になっているなどの発見も面白かったです。また、自分で想像し仮定を立ててみるのも面白いと思いました。 たまにはゆったりとした時間を持ちいろいろと散策してみるのもいいなと思いました。 大学生になって、実際にフィールドに出て行う活動が多くなりました。それにより、その場の雰囲気を感じることができ、新たな発見や面白さが増えました。 今回のこの記事作成にあたっても実際に現地に行くということで覚えるだけの知識だけではなく触れる学びが多くありました! これからもっと現場での学びやつながりを大切にしていこうと思っています!

レポーター 後半担当「染井~縣井」

重兼 加奈(しげかね かな)

コメント
奈良から京都の大学に通い、早くも一年半が経ちました。大学の課外活動を通して「名水」にふれています。普段はあまり気にしないことがほとんどですが、水は伝統や伝説、生活文化などたくさんの情報をもって、現代に受け継がれている。それはとっても素敵なことだなと、今回の記事の作成で改めて感じています。

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